葭谷新三郎が中区山下町に道具屋として創業。当時は主に外国人の帰国時に、家財道具一切を買い取りそれを販売していた模様。
9月1日、関東大震災を中華街本通り(現在の白楽天の場所)であい全壊。12月に現在地(元町5丁目)に移る。
2代目、葭谷力三の代になる。元町の職人の層が厚くなり、木工所(指物師、椅子屋)、塗装業(塗師屋)、椅子の張屋、などをまとまる形で家具を作り、外国人や官公庁の注文で納める様になる。
5月29日の太平洋戦争横浜大空襲で全焼し、全てを無くし、中古品の売買を始める。
組織を有限会社葭谷洋家具店とする。
葭谷力三が他界し、3代目葭谷光宏の代となる。
店を新築し、2階までを店舗とし売り場を約90平米に広げる。
店を新築したころから中古品が少なくなり、完全に新品だけの商品となる。